愛媛県の松山中学校に勤務していた夏目漱石は、赴任してきた「弘中又一」と知り合います。そして、「弘中又一」の破天荒な性格とその実話体験を元にして『坊ちゃん』を書いたと言われています。
「弘中又一」は、松山中学校を1年で飛び出した後、明治33年に埼玉県尋常中学校第二分校(旧制熊谷中学:現・埼玉県立熊谷高校)に着任し、19年間勤務します。
その間の明治42年から大正8年まで、市内の宮町一丁目(現在のさいたま地方裁判所熊谷支部南側)の借家に住んでいました。現在、その家は残されていませんが、ブロック塀に解説板が掲げられています。

『熊谷高校八十周年誌』には、「弘中又一」のエピソードが紹介されています。
「月給をもらうと、忘れないように靴下の中に入れていた」
「ドジョウを買ったが、入れ物が無いので、かぶっていた山高帽の中に入れて持ち帰った」
「弘中の「弘」をくずして出席簿にサインしていた。それが「X(エックス)」にみえたので、「エグズ」のあだ名をつけられた」
「荷車を引いて歩くのに山高帽にフロックコートをはおって引いていた」等々。
『坊ちゃん』先生のその後に思いを馳せながら、宮町一丁目付近を散策してはいかがでしょうか。
この記事へのコメント
古澤 秀樹
「坊ちゃん」は東京生まれで、松山中を辞めてから東京で生活をしていたのかと、勝手に判断してました。因みに、私は松山高校卒業です。
haniwa7